2021/08/22
夏の記憶(その5)長い長い夏の一日
紀勢本線は、紀伊半島をぐるりと一周していますが、新宮から西はJR西日本で電化区間(紀勢西線)、東はJR東海で非電化区間(紀勢東線)となっています。かつては、大阪から名古屋まで全区間を運転する特急もありました。今では列車運行形態がすっかり変わってしましましたが、沿線の風景の美しさは変わりません。
さて、この日は「西も東も全力で楽しもう、反時計回りで紀伊半島一周!」と未明の大阪を出発し吹田ICから近畿道、阪和道、御坊湯浅道路、阪和道、42号線と車を走らせ早朝の紀伊田原に到着。荒々しい海岸線、太平洋、入道雲などの組み合わせで105系や283系オーシャンアローの撮影を楽しんだ後は、東に向かい新宮を超え「紀勢貨物」の撮影のためにJR東海区間へ。
ここぞと狙いをつけた、阿田和の築堤は黄金色の稲穂に囲まれていました。空はすっきり晴れ渡り、白い雲がぽつぽついいあんばいに浮かんでいます。農道の端に三脚を立てローカル列車で画面を構成します。やがて、鈍いディーゼル機関の音とともに更新色DD51に引かれた貨物列車が登場しました。
2011年8月17日 阿田和-紀伊井田
時刻は、午前9時30分。まだまだ今日の撮影は始まったばかり!再度、紀勢西線へ戻り381系くろしおなどを湯川駅近くの入り江でたっぷり楽しんだ後、午後は紀勢東線に戻り鵜殿発の「紀勢貨物」に照準を合わせます。当日は熊野花火大会にあわせた臨時列車運転のため、貨物ダイヤが変更になり2回の撮影が可能でした。まず、静かな新鹿湾を背景に黄金色の稲穂を前景にして撮影。さらに紀伊長島まで移動して険しい荷坂峠越えに奮闘する姿を撮影し、この日の撮影を終了しました。時刻は18時前。42号線、紀勢道、伊勢道、新名神、名神とルートをとり、未明に通過した吹田ICに帰還。ぐるり紀伊半島一周の長い長い夏の一日が終了しました。
2011年8月17日 新鹿-波田須